コンサータ服薬日記(1日目)

ブログ更新にずいぶん穴が開きました言い訳するならブログを

ADHDで困っている人向けのライフハック中心の内容にしたかったのですが

すでにネットには私が発信するまでもなく多くのライフハックが発信されており

その存在意義について悩まされたからです

そんな訳で自分にしかできない体験を書くことにより

ブログとして再開することにしました

 

本題

ようやく念願のコンサータの処方をしてもらいました。今までのかかりつけの医者が

コンサータの処方の許可がない医者だったので転院という形です

そこまでして薬が欲しいと思うようになったのは元々欲しかったのにプラスして

企業実習で器用さとスピードにやや難ありといわれたからにあります

コンサータで底上げすればそこはカバーできるでしょう

*1日目と書いてありますが実際に飲んだのは昨日です。丸一日を経験して

ブログに上げたかったため今後も翌日に経過報告します

 

1日目、コンサータ18㎎を10時に飲む。

・・・。何も変わらず。副作用すらやってこない。少し焦る。

効く効かない以前の問題だこれ

他の体験者はその日のうちに変化を感じているのに私には何も感じない

コンサータの有効率は60%~70%、私はこの有効率に含まれていなかったのか?

含まれていない人間には副作用の苦しさは出てこないのだろうか?

明日医者に電話をしてみる

ちなみに2週間ごとに少しづつ増量してみるのは医者も了承済み

はてさて、今後どうなることやら

 

追記

多分だけど体重関係している80キロ後半の体重何で18㎎では少なすぎると思っている

ADHDの検査の限界と小中大

ADHDの審査をする際に私が用いたのはWAIS-IIIだった

非常にありがたい知能検査で自分の今までの人生で躓いてきたこと、

嬉しかったことやればできたことの傾向が鮮明に記されており

なるほど、これなら私はADHDだと妙に納得してしまった

 

しかしWAIS-IIIは「そこ」までなのである。ADHDかどうかを

審査するための知能テストでしかない

 

最初のうちはADHDと言う事で自分自身を納得させていた

しかし、障害特性と向き合い克服ないしは改善、または長所を伸ばすという事に

チャレンジする際にハタと気が付いてしまったのである

 

・・・私のADHDってどれぐらい深刻なんだろう?と

 

ネットを漁ってみたが明確な答えは無かった

私の障害は双極性障害II型、睡眠障害ADHDで等級は2級である

しかしあまり意味がない

私の知りたい答えではない、私が知りたいのは他者からみて

客観的に軽度のADHDなのか中度のADHDなのか重度のADHDなのかなのである

 

意外と私のように考えている人は多いのではないだろうか?

特に求職や進学を考えている人にとっては

軽度なら多少のつまずきがあっても乗り越えられるだろうし

中度なら他者からの援助があれば乗り越えられるかもしれない

重度なら本当に根幹から支援の在り方を変えてもらい、

その上で残念ながら色々諦める必要も出てくるかもしれない

 

残酷な予想だがこればかりは多くのADHD患者を見てきた人の

経験的な判断しか道が無いように思える

 

出来たら早くADHDを一括りにせずその深刻さも指数化される事を望む

私は仮に測定法が見つかり貴方は重度だから就職諦めろと診断が下されたほうが

気が楽になるだろう、今私はADHDの海に沈みながらその深さが分からず

もがいている最中である

「何もしない日」を実践してみた結果と感想

借金王さんの「発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術」を購読。

まだまだ読んでいる最中だけど面白い事が書いてあったADHDが本気で疲労と向き合うためには何もしない日を作り「何もしないことをやれ」と言う話だった。

スマホは当然脳みそを使いそうなものはすべて禁止、早い話が寝たまんま1日過ごすというもの。

昨日の土曜日に実践しました。

起きる→朝ごはん→二度寝→昼ごはん→昼寝→17時

このあたりからだんだんきつくなってくる。

17→夕ご飯→24時終了

もうこのあたりだと拷問レベル、本自体にかなりの苦行になると書いてあったけど確かにきつかった。

実感したのは脳の多動さ、ADHDの多動性が大人になってなりを潜めても実は脳みその思考に多動性が残り一つのことで頭の中が思考の嵐になってしまうのだけど刺激がないからそれがかなり無かった。

体の疲れは実のところ残った、本当に何もしない日は脳みその疲労回復にはいいけど体全体をリカバーしてくれるものでは無いというのが一回目の感想。気が向いたら2回目します

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

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ADHDと言う事と努力

耳障りの言いネットの声に「発達障害は好きなことだけやればいい(大意)」

「障害だからできなくて当たり前、受け入れましょう(大意)」とか言うのを

ちらほらと散見する。声を大にして言うならそれは「間違え」である。

確かに障害特性は克服不可能かもしれない、

しかし努力を放棄する言い訳にしてはいけない

新自由主義の元、富める者はますます富、貧しいものはますます貧しくなる

極端な二極化が現在進行形で進んでいる、250万が貧困の最底辺と言われていたが

いまは186万世代と言う超下流層が出現している

そんな中切り捨てられていくのは社会的弱者、つまり私たちだ

私たちはサバイバルしなくてはならない

つまりは「健常者」に限りなく近づかなければ生き残れない人種なのだ

それを先ほどのような耳障りのいいような言葉で自分自身を肯定するのは

現実的だとは思えない

仮にそう育ってだれが責任を取るのか?成人したら自分で責任を取らなくては

ならない。障害者であっても生産性を高める工夫、努力を怠らず

「健常者」に近づくために努力しない限り将来は暗い

本屋に行けばいくらだってADHDの処世術の本はある

それらに背を向け「僕はADHDだから無理です」といきなり言うのは

如何なものだろうか?

障碍者枠で入社して2番目に困ることは「障害を理由に仕事を断る」と言う話を聞いた

(1番目は遅刻と無断欠勤)

私たちは努力しなくてはならない。それが大勢の「健常者」の中に溶け込んで

サバイバルするための処世術なのだから

 

じゃあ、お前はどうなの?と聞かれるかもしれないがADHDの判断の時に有った

コミュニケーション能力は就労移行支援施設でだいぶ鍛え上げられた

今では積極的に話しかけに行くぐらいになっている

今現在問題なのは下記二点

・不注意

・すぐに忘れる

ADHDの不注意優勢型の典型である。これをどういま改善しようとしているかは

次回に譲る。