ADHDと言う事と努力

耳障りの言いネットの声に「発達障害は好きなことだけやればいい(大意)」

「障害だからできなくて当たり前、受け入れましょう(大意)」とか言うのを

ちらほらと散見する。声を大にして言うならそれは「間違え」である。

確かに障害特性は克服不可能かもしれない、

しかし努力を放棄する言い訳にしてはいけない

新自由主義の元、富める者はますます富、貧しいものはますます貧しくなる

極端な二極化が現在進行形で進んでいる、250万が貧困の最底辺と言われていたが

いまは186万世代と言う超下流層が出現している

そんな中切り捨てられていくのは社会的弱者、つまり私たちだ

私たちはサバイバルしなくてはならない

つまりは「健常者」に限りなく近づかなければ生き残れない人種なのだ

それを先ほどのような耳障りのいいような言葉で自分自身を肯定するのは

現実的だとは思えない

仮にそう育ってだれが責任を取るのか?成人したら自分で責任を取らなくては

ならない。障害者であっても生産性を高める工夫、努力を怠らず

「健常者」に近づくために努力しない限り将来は暗い

本屋に行けばいくらだってADHDの処世術の本はある

それらに背を向け「僕はADHDだから無理です」といきなり言うのは

如何なものだろうか?

障碍者枠で入社して2番目に困ることは「障害を理由に仕事を断る」と言う話を聞いた

(1番目は遅刻と無断欠勤)

私たちは努力しなくてはならない。それが大勢の「健常者」の中に溶け込んで

サバイバルするための処世術なのだから

 

じゃあ、お前はどうなの?と聞かれるかもしれないがADHDの判断の時に有った

コミュニケーション能力は就労移行支援施設でだいぶ鍛え上げられた

今では積極的に話しかけに行くぐらいになっている

今現在問題なのは下記二点

・不注意

・すぐに忘れる

ADHDの不注意優勢型の典型である。これをどういま改善しようとしているかは

次回に譲る。